今週は、井上慶太九段と糸谷哲郎八段の対戦でした。
井上九段は居飛車党でじっくりとした将棋を好むタイプです。棋風はどちらかと言えば受けでしょうか。矢倉のような手厚い構えを好まれている印象があります。
糸谷八段は居飛車党で、受け将棋。独特な感性の持ち主で、常人には思いつかない読みや構想を披露することも珍しくありません。また、苦しい局面を踏ん張る技術が極めて高い棋士でもありますね。
なお、本局は長手数になったので、二回に分けて解説致します。
本局の棋譜は、こちらのサイトからご覧いただけます。
参考
本局の棋譜NHK杯将棋トーナメント
初手から▲7六歩△6二銀▲2六歩△3二金▲2五歩△7四歩▲2四歩(青字は本譜の指し手)と進み、第1図のようになりました。
後手はこちらの記事で紹介した7筋の歩を取らせて手得を主張する作戦を採用しました。最近はあまり見かけないですが、糸谷八段が得意としている駒組みです。
ここから先手がどのように駒組みを行うかは千種万様ですが、できれば急戦にも持久戦にも対応できるような駒組みをしたいところです。井上九段は▲7八金△2二銀▲3八銀△8四歩▲5八玉△4二玉▲3六歩と攻めの手と守りの手をバランス良く分配して、フレキシブルに対応できるようにします。(第2図)
後手は手得をどのように活かすかが課題です。相手よりも手が進んでいるので先攻を目指す方針も考えられますが、先手は低い陣形に構えてそれを警戒しているので、あまり効果的とは言えなさそうです。そこで、糸谷八段は△2四歩と突いて銀冠を作りに行きました。手得という資源を囲いの強化に費やすことで、玉の堅さを主張する戦術です。
△2四歩に対して▲3三角成で銀冠を阻止する手も目に映りますが、この場合は△3三同銀で失敗します。△5五角の両取りが残っているので△2四歩が成立しているんですね。
△2四歩以下、▲2六飛△2三銀▲3七桂△8五歩▲7七角△5二金▲6八銀と互いに陣形整備を進めていきます。角がにらみ合った状態が続いていますが、こういうのは放置して問題なければそのままにしておくのが無難です。なぜなら、自分から角を交換してしまうと手損になってしまうからです。(第3図)
後手はそろそろ攻めの形を作りたいので、△6四銀で銀を活用します。対して、角道を通したまま攻撃的に戦うのであれば、▲4八金や▲2九飛ですが、井上九段は▲6六歩△3一玉▲6七銀と陣形を盛り上げて、ゆっくりした将棋を志向しました。先手が角道を止めたことにより、局面は完全に持久戦へと移行します。
以降は、先手は雁木。後手は銀冠を構築し、がっぷり四つに組み合う展開となりました。(第4図)
後手は歩を持っていれば△7二飛→△7五歩で攻めることができますが、現状は自力で歩を入手できないので、△6四銀型では攻め味がありません。よって、糸谷八段は△5三銀▲8八玉△5四銀と銀を繰り替えました。これで△6四歩→△6五歩と歩がぶつかる場所を確保することができましたね。歩が絡めば攻めの糸口が見出せます。
対して、井上九段は銀が6筋から移動したことを咎めるべく、▲7五歩と歩を伸ばします。以下、△6四歩▲7六銀△6二飛▲6七金右と囲いを銀立ち矢倉に発展させて、後手からの攻めに備えました。(第5図)
しかしながら、後手は6筋から動く準備をしてきたので、ここでは△6五歩と指してみたいところでした。▲6五同歩△同銀▲6三歩△同飛▲6四歩△同飛▲5五角という反撃は気になりますが、△5四飛が好手で切り返すことができます。(A図)
角取りなので、先手は銀を取る余裕がありません。また、▲9一角成は△7六銀▲同金△5七飛成で竜が作れるので後手良しです。
本譜に戻ります。(第5図)
△6五歩も有力かと思われましたが、糸谷八段は△4二角と指しました。これは次に△3三桂と跳ねて、先手の仕掛けを封じようという意図です。
しかし、△4二角→△3三桂の2手は、もっと早い段階で指すことができたので、このタイミングはやや不自然な印象を受けます。井上九段は隙ありと見て、▲4五歩△同歩▲5六歩と仕掛けます。これが好判断でした。(第6図)
△5六同歩▲同銀△5五歩で対応できれば話は早いのですが、▲4五銀△同銀▲同桂△4四歩▲5三銀で強引に咬みつかれると後手は勝ちにくい将棋になってしまいます。一方的に攻められると、多少の駒得では釣り合いが取れません。
後手は▲5六銀という符号を許してしまうと、どうも苦しくなってしまうようです。したがって、糸谷八段は△3三角▲5五歩△同角▲2七飛△6五歩と▲5六銀と上がる余裕を与えないように反撃を開始します。一度、下がった角を再び上がるので些か変調ですが、致し方ない手順です。(第7図)
取り込みは許せないので井上九段は▲6五同歩と自然に応じます。対して、糸谷八段は△7七角成▲同金寄△4六歩と右辺に手を求めました。これは馬を作って先手の攻撃陣をいじめる狙いなのですが、▲4四歩が一発入ってしまうのが泣きどころ。△4二金引は仕方のない辛抱ですが、▲4六銀と手を戻して先手有利の中盤戦です。(第8図)
後手は△6五銀で攻め駒を捌いても、後に▲4三銀と打ちこまれて囲いを剥がされてしまうので単純な攻め合いでは芳しくありません。
よって、本譜は△3八角▲2八飛△5六角成と馬を作ってもたれる方針を採りますが、▲5八飛が明るい一手。後手に△5七歩を強要し、▲同飛△同馬▲同銀で歩を吸収しながら飛車を捌くことができました。
糸谷八段は△4七飛▲6六銀△3七飛成で桂得を主張しますが、素朴に▲5五歩と銀を攻める手が厳しく、先手が順調に優位を拡大しています。(第9図)
桂損で竜を作られているにも関わらず、先手が優勢というのは不思議に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。なぜ先手が形勢をリードしているのかというと、玉型と攻め駒の効率に圧倒的な差が着いているからです。
玉型は先手の方が金銀が多いですし、4四に拠点も設置しているので一目瞭然かと思います。
次に効率ですが、後手は竜・飛・銀の三枚が連動しておらず、それぞれが孤立しているので効果的に機能していないんですね。対する先手はご覧の通り遊び駒が全くない状態です。後手はこれらのビハインドを桂得で埋めているとは言い難いので、先手が優勢と言えるのです。
第9図から受けに回るのなら△6三銀でしょうが、▲5一角△5二飛▲4二角成△同金▲4三金と強襲すれば後手は支えきれないでしょう。(B図)
▲5一角から角をぶった切るのが4四の拠点を最大限に活かした踏み込みです。B図は後手玉が薄すぎて、とても競り勝てないように思います。
本譜に戻ります。(第9図)
銀を逃げているようでは反撃の機会を逸してしまうので、糸谷八段は△8四桂と勝負手を放ちます。ここで桂を打てば▲8五銀には△6五銀と進軍できるので、先手も7六の銀を逃げることはできません。よって、▲5四歩△7六桂▲同金は必然の進行です。
後手は駒が不足気味なので、攻めの後続が難しいのですが、△8六歩が実戦的な一手で先手を楽に指せません。(第10図)
▲同歩は玉頭に穴が開きますし、▲同金は形が乱れます。どちらで取ってもしっくりこないので、始末が悪いですね。
したがって、井上九段は▲5五角と手抜きを選びました。これは、意味合いとしては「両取り逃げるべからず」という格言と似ています。つまり、どうせ嫌な目に遭うのなら、その間に有効手を積み重ねようという理屈です。
糸谷八段は当然、△8七歩成▲同金△3八竜と迫りますが、▲7七玉と三段目に移住したのが厚みを活かした受け方。以下、△4七竜▲6七桂△5六銀▲7八銀まで進むと、上手く後手の攻めをいなした印象です。(第11図)
先手は駒得できることが約束されているので、自陣に惜しみなく持ち駒を投資して長期戦に持ち込もうとしています。後手は攻め駒が竜と銀の二枚しかなく、やや切れ模様といったところでしょうか。相変わらず6二の飛が攻めに参戦していないのが痛いですね。
取りあえず、後手は攻めが切れてしまうと勝ち目が無くなります。攻めを繋げるにはどのような手段が必要でしょうか? 続きはこちらからどうぞ。
それでは、また。ご愛読ありがとうございました!