今週は、糸谷哲郎八段と千田翔太七段の対戦でした。
糸谷八段は居飛車党で、受け将棋。駒得を重視することと、局面の状況がカオスになればなるほど力を発揮することが特徴の棋士です。
一回戦では田村康介七段と戦い、相居飛車の力戦型を制して二回戦へと進出しました。
第69回NHK杯 糸谷哲郎八段VS田村康介七段戦の解説記
千田七段は純粋居飛車党で、バランスの取れた棋風です。果敢に踏み込むタイプであり、安易な妥協を選ばない将棋を指される印象があります。
一回戦では大橋貴洸四段(当時)と戦い、角換わり腰掛け銀を受けて立って二回戦へ勝ち名乗りを上げました。
第69回NHK杯 大橋貴洸四段VS千田翔太七段戦の解説記
なお、本局の棋譜は、こちらのサイトからご覧いただけます。
参考
本局の棋譜NHK杯将棋トーナメント
目次
序盤
初手から▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩▲7六歩△3二金▲7七角(青字は本譜の指し手)と進み、第1図のようになりました。
戦型は、角換わり腰掛け銀。第1図の局面は、奇しくも先週の対局と同一局面です。それだけプロ棋界ではホットな形であることが窺えますね。
ここで先手には様々な方針があるのですが、糸谷八段は▲8八玉と指しました。以下、△6五歩▲同歩△同桂▲6六銀△6四歩▲4五歩という進行を選びます。(第2図)
この作戦はこちらの記事で「駒組み移行型」と定義している局面です。一気に白黒を着けるのではなく、ゆっくり戦うことを趣旨とする指し方と言えます。
ここから後手が穏便に指すのであれば、△6三銀▲4六角△5四歩という手順が考えられます。銀を引くことで争点を減らし、局面を膠着状態に持ち込む狙いですね。
ただ、その指し方では攻め味に乏しいので、先手により良い陣形を作られてしまう懸念があります。詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
参考 最新戦法の事情【豪華版】2019年9月~10月・居飛車編
そこで、千田七段は△8六歩▲同歩△同飛▲8七歩△8一飛という手順を選びました。(第3図)
これは極力、銀を5四に配置したまま戦おうという意思があり、前述した展開と比較すると攻撃的なプランと言えます。
ただ、これは▲4六角と打たれたときに△6三銀とは指せなくなっているので、いい事ばかりではありません。具体的には▲5五銀左という手が厄介ですね。(A図)
後手は次に▲6六歩を打たれると桂が憤死してしまいますが、分かっていてもそれを防ぐ術がありません。ここで△5四歩と突いても▲6四銀があるのでワンテンポ遅れています。これは先手の成功事例と言えるでしょう。
そういった背景があるので本譜は▲4六角に対して△6三金と対応しましたが、糸谷八段はそれでも▲5五銀左を決行して戦いを挑みます。(第4図)
受けの要である銀を前線に繰り出すので、かなりアグレッシブな一着ですね。
このように激しく戦う展開は「駒組み移行型」の趣旨からは外れている節はあるのですが、後手の金が上擦ったので、先手は隙ありと見ています。ゆえに、チャンスと見て動いたという訳なのですね。
先手が銀をぶつけたことにより、戦いの火蓋は切って落とされました。
中盤
後手は、のんびりしていると▲6六歩から桂を召し取られてしまうので、必然的に何かしら攻める手が必要です。加えて、▲7二銀の傷を抱えていることから△5五銀も指しにくい手と言えます。そうなると、本譜の△7五歩は自然な一着ですね。この歩を捨てれば△7七歩が叩けるようになるので、攻め筋が広がります。
先手は当初の予定通り▲6六歩と指しますが、そこで△5五銀▲同銀△7四金と進めたのが巧みな対応でした。(第5図)
本来、金という駒は守り駒なので、このように前線へ繰り出すのはイレギュラーではあるですが、この場合は理に適った指し方で、お手本にして頂きたい駒運びでした。
なぜ金を繰り出すのが良いのかというと、
・▲7二銀をかわしている。
・桂を失うことで低下する攻撃力を補っている。
という二つの恩恵があるからです。これによって、後手は自陣にキズを抱えていたことや、駒損になるというデメリットを解消したことが大きいですね。
糸谷八段はひとまず▲6五歩で桂を取りますが、後手は△同金で他力を利用しながら金が進出できるので味が良い展開です。
盤面の左辺が戦場になっているので、本譜は▲6九飛と回って増援を送りますが、そこで△3一玉と手待ちしたのが素晴らしい大局観。この手を境に千田七段がペースを掴みました。(第6図)
この玉引きは、先手が直前に指した▲6九飛を逆手に取っている意味があります。
まず、将来的に▲6四飛と走る手を実現されたときの備えになっていること。そして、先手の飛車が2筋から逸れたことで囲いの本丸に近づく手の価値が上がっていること。この二つのメリットは計り知れないほど価値があり、後手玉は安全度が格段に上昇しました。
また、先手は4六の角と5五の銀があまり機能していない点もネックと言えます。これらの駒に活を入れるなら▲6四銀ですが、それには△6七歩などで後手の攻めに拍車を掛けている嫌いがあり、利敵行為になってしまいます。こういったときも、後手は玉が▲6四銀から事前に離れているので強気な態度を取れるようになっていることが分かりますね。
先手は玉型に差を着けられているので、攻め合いが挑める情勢ではありません。よって、糸谷八段は▲2四歩△同歩▲4四歩△同歩で嫌味をつけてから▲6六銀で受けに回ります。
しかしながら、△7六金▲7七銀打△6七銀がうるさい食い付き。後手は自玉が安泰なので、駒を渡す攻めを実行しやすいことが心強いですね。(第7図)
ここから▲6七同飛△同金▲同金と進めれば、先手は一時的には大きな駒得になります。けれども、△6九飛▲7八金△5九飛成のように攻められると、その得はあまり活きない展開になってしまうのです。(B図)
(1)▲4七金は、△6九角。
(2)▲3八金は、△4九竜。
いずれも金取りの受け方に苦慮する羽目になります。かと言って、金を取らせるようでは「駒得」という主張が薄くなるので本意ではありません。つまり、先手はB図の変化では望ましい展開にはならないということになります。
本譜に戻ります。(第7図)
このように、先手は6七の銀を取ることが出来ないので、本譜は▲7六銀△同銀成▲7七金打という手順を選びました。ただ、これも△8六歩▲同歩△8五歩の継ぎ歩があるので、後手の攻めを振りほどくのは茨の道です。
なお、寄せに転ずる際のコツとしては、駒を清算(交換)するのではなく、敵玉の周りに攻め駒を増やしていくことがセオリーになります。そうすることで相手は守備駒を置くスペースが少なくなり、受けに苦労することになるからです。第7図の△6七銀もそれを踏まえていることが分かりますね。(第8図)
先手は8六に拠点を作られることが確定してしまいました。玉頭のプレッシャーを緩和するには、後手の飛車を堰き止めるしか道はありません。
そこで、糸谷八段は▲7六金△同歩▲6四角△8六歩▲8二歩でそれを実現させます。これには△6一飛が自然な逃げ場ですね。
先手は、角取りを受けなければいけませんが、その方法が大事なところでした。(第9図)
先手は相変わらず玉型の差で後れを取っているので、激しく斬り合う展開は得策とは言えません。したがって、取るべき戦略としては「長期戦」になります。
その観点から考えると、ここでは▲6二歩△7一飛▲8六角で粘っこく指してみたいところでした。(C図)
これで玉の安全度が逆転した訳ではありませんが、玉頭の歩が払えたので耐久力が増した印象を受けるのではないでしょうか。一応、先手には「桂得」という主張があるので、受けに回る楽しみが残されています。
無論、C図は後手のほうが玉型や駒の働きが良いですし、ここから猛攻を浴びることも予想されるので非勢は否めないのですが、先手としては8六に設置された拠点を除去することが先決でした。自玉の寿命を延ばすことを重視すれば、簡単には倒れなかったでしょう。
本譜に戻ります。(第9図)
実戦は、ここで▲6二銀と指しました。後手は△7一飛とは出来ないですし、△同飛には▲5三角成が王手飛車です。つまり、糸谷八段は飛車を押さえ込むことが最優先事項と踏んだ訳なのですね。
けれども、結果的には負けを早めた一着になってしまったでしょうか。というのも、ここで△6八歩というツブテが飛んできたからです。これが痛打でした。(第10図)
▲同飛と取ると、△5九角→△8七銀という攻め筋が生じてしまいます。先手にとっては、損な取引ですね。
本譜はそれを嫌って▲2九飛とかわしましたが、△6二飛▲5三角成△2二玉であっさり飛車を見捨てたのが好判断。6二の地点で飛車を取らせれば▲8六馬と引きつける手を消すことが出来るので、先手の防御力を落とすことが出来るのです。
糸谷八段は▲2三歩△同玉を利かしてから▲6二馬と指しましたが、△6九角がスピーディーな寄せ。8六の拠点と連動しているので、すこぶる厳しい攻めになっています。(第11図)
こうなってみると、8六の歩が凄まじく価値の高い駒になっていることが分かります。玉型に甚だしい差が着き、千田七段がはっきり抜け出した格好になりました。
終盤
先手玉には△8七金からの詰めろが掛かっていますが、▲7九桂と受けても△6七銀と放り込まれてしまうので、根本的な解決にはなり得ません。
尋常な手段では勝ち目が無いとみて、糸谷八段は▲6九飛△同歩成▲3五桂という勝負手を放ちます。これは△同歩でタダですが、▲6七角△3四銀打▲8三飛と立て続けに攻防手を指すことで、玉型の差を縮めることが狙いです。
しかし、千田七段は冷静でした。△7四銀で飛車をいじめに行ったのが堅実な決め手です。このように、相居飛車の終盤では相手の飛車を責める手が効果的な手になることが多いですね。(第12図)
本音を言えば、ここで先手は▲3四角△同玉▲5二馬で王手銀取りを掛けたいところ。けれども、それは△2三玉▲7四馬△7九角で自玉がトン死してしまいます。(D図)
仕方がないので本譜は▲8六飛成と指しましたが、△8五金で竜を押さえ込まれてしまっては勝負の帰趨が見えてきました。(第13図)
▲9七竜と引いても△8七歩からバシバシ叩かれてしまうので、先手は延命できない状況です。
糸谷八段は▲8五同竜△同銀▲5二馬と開き直りましたが、△8六飛が最短の寄せ。8筋に歩が利かないことを見越しています。
以下、▲8七金打△同飛成▲同金△6八飛と進み、後手はしっかり着地を決めました。(第14図)
ご覧の通り王手角取りですが、先手は持ち駒が飛と歩しかないので受けに窮しています。本譜は▲7八角と引きましたが、△8六桂で雪だるま式に駒損が大きくなるので先手は勝ち目がありません。以降は、ほどなく千田七段が押し切りました。
本局の総括
それでは、また。ご愛読ありがとうございました!