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第69回NHK杯 広瀬章人八段VS稲葉陽八段戦の解説記

NHK杯 広瀬 稲葉

今週は、広瀬章人八段と稲葉陽八段の対戦でした。

 

広瀬八段は居飛車党で、棋風は攻め。序盤は概ねおっとりと進めることが多く、終盤の末脚で力強さを発揮するタイプの棋士ですね。

二回戦では三浦弘行九段と戦い、横歩取りの将棋を制して三回戦へと駒を進めました。
NHK杯 広瀬第69回NHK杯 広瀬章人竜王VS三浦弘行九段戦の解説記

 

稲葉八段は居飛車党で、攻め将棋。形勢が良いときはスマートに、悪いときは歪曲的に指す傾向が強く、その独特な二面性が強さの一端という印象を持っています。

二回戦では里見香奈女流五冠(当時)と戦い、向飛車を打ち破って三回戦へと進出しました。
NHK杯 里見第69回NHK杯 稲葉陽八段VS里見香奈女流五冠戦の解説記

 

なお、本局の棋譜は、こちらのサイトからご覧いただけます。
参考 本局の棋譜NHK杯将棋トーナメント


第69回NHK杯3回戦第6局
2020年1月19日放映

 

先手 広瀬 章人 八段
後手 稲葉 陽  八段

序盤

 

初手から▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩▲7六歩△3二金▲7七角(青字は本譜の指し手)と進み、第1図のようになりました。

 

NHK杯 広瀬

戦型は角換わり腰掛け銀。後手番の稲葉八段は相手に追随する指し方を選んでいますが、この△7二金は変化球のような意味合いのある手です。

ポピュラーなのは△6二金と上がる指し方で、その将棋のほうが良く見かけますね。しかしながら、この△7二金型もそれと同じくらい有力な手法であり、どちらが勝るのかは見解が分かれているところです。

 

NHK杯 広瀬

先手は自然に▲5六銀と上がりますが、そこで△6二金がこの戦型ならではの一手。以下、▲6六歩△5二玉▲7九玉△4二玉▲8八玉△5四銀と進みます。(第2図)

 

NHK杯 広瀬

後手は7二へ上がった金を6二に移動させたので、自ら手損を受け入れていますね。不可解な手順に見えますが、これがちょっとしたアイデアなのです。

つまり、もしその手損が無ければ、第2図は後手の手番ということになります。そのとき、待機するなら△3一玉や△6三銀、△4一飛などが候補でしょう。しかし、それらの手は果たしてプラスに作用するのでしょうか?

 

NHK杯 広瀬

それらの手を指すことによって隙が生じると判断するのであれば、「最適な手はパス」ということになります。けれども、それはルール上、不可能な行為ですね。

なので、後手は第2図の局面を迎えたとき、相手に手番を渡さなければいけません。つまり、ここに至る前にどこかで手損してキャッチボールの順番を入れ替えることが必要になるのです。その最適な手段が、△7二金→△6二金という手順になる訳ですね。これが後手の手損作戦のロジックになります。

 

NHK杯 広瀬

さて。ここで先手が仕掛けるなら▲4五桂になります。ただ、それで優位を握れる保証は無く、そこからも難解な戦いが続きます。実戦例としては、こちらの将棋が挙げられますね。

新人王戦特別対局第49期新人王戦特別対局 ▲藤井聡太七段VS△豊島将之二冠の解説記

 

NHK杯 広瀬

本譜は▲6七銀を選びました。これは、銀矢倉を作ってゆっくり指す方針です。後手は引き続き待機する手も考えられましたが、稲葉八段は隙ありと見て△5五銀と直進します。「銀矢倉は許さん」という訳ですね。(第3図)

 

NHK杯 広瀬

先手は△4六銀を見せられており、のんびりした態度は取れなくなりました。こうなると、決戦は避けられません。後手が意欲的に局面を動かしたことで、序盤戦は終わりを告げました。

 


中盤

 

NHK杯 広瀬

▲4七金は△3八角があるので、先手は4六の歩を守る方法が難しいですね。

受けが無いときは攻めに転じるより道はありません。広瀬八段は、▲3五歩△同歩▲4五桂で桂を捌いていきます。後手は銀の逃げ場が複数ありますが、最も無難な△4四銀上を選びました。「桂頭の銀」は受けの好形であり、悪手になりにくい対応の一つです。(第4図)

 

NHK杯 広瀬

先手は攻勢ではあるものの、現状では攻め駒不足です。それを改善するため、▲5六銀とぶつけました。

後手は手駒を与えたくないので、△4六銀とかわします。先手は▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2六飛と進めて、引き続き後手の銀をターゲットにします。(途中図)

 

NHK杯 広瀬

銀を助けるには△3六歩が妥当ですね。以下、▲同飛△3五銀引▲3九飛△3六歩と進みます。ここまでは概ね変化の余地が無く、一本道と言えるでしょう。(第5図)

 

NHK杯 広瀬

先手としては、ここからの攻め方が頭を使うところです。筋としては、▲7五歩が有力ですね。ただ、それをどのタイミングで敢行するのかが悩ましいのです。

広瀬八段は、▲2二歩△同金の利かしを入れてから▲7五歩と指しました。▲2二歩は先手にとっても弊害を及ぼすので一利一害ですが、実戦心理として壁金を強要するのは魅力的でもあります。(第6図)

 

NHK杯 広瀬

今度は、後手が頭を悩ませる番です。受けに回るのであれば、△8四飛が候補です。これは、先手が直前に指した▲2二歩を咎めている意味があります。

もし、先手が[▲2二歩△同金]の利かしを入れていなければ、▲3三歩△同桂▲同桂成△同銀▲7六桂という攻めがあります。こうなれば△8四飛と浮いた手を無効化しているので話が旨いですね。(A図)

 

しかし、本譜の場合は▲3三歩が当たりにならないので、先手はこの攻め方が実行できません。これが▲2二歩を利かした弊害なのです。

 

NHK杯 広瀬

上記の変化も有力ではありましたが、この戦型において△8一飛型は最高のポジションなので、安易に動かしたくはないところでしょうか。

稲葉八段は、△8六歩▲同歩△8七歩▲同金△5四角と指しました。これは先述の変化とは打って変わって、攻め合い志向の方針です。(途中図)

 

NHK杯 広瀬

先手は7筋の歩を突っ掛けた以上、▲7四歩と取り込まないと辻褄が合わないですね。対して、後手は△4五銀▲同銀△同角▲7三歩成△7五桂とギアを上げて先手陣へと迫っていきます。

あえて▲7四歩を取り込ませ、それによって△7五桂を打つ展開へと誘導したのが稲葉八段のプランでした。(第7図)

 

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これは詰めろに準ずる手なので、先手は受けの手が必須です。欲張るなら▲5六銀で角取りに打つのですが、△同角▲同歩△6七銀という変化が怖いですね。受けるとすれば、▲6九角しかありません。(B図)

 

歪な受けではありますが、△7八銀打や玉頭をケアしないといけないので、この一手とも言える角打ちです。

これで耐えていれば、駒得している先手に勝算が高い将棋だと思います。けれども、上手い攻めがあれば一巻の終わりなので、ハイリスクハイリターンな選択ですね。

 

本譜に戻ります。(第7図)

本譜は、▲7六銀打△8七桂成▲同銀と進みました。これは銀冠の形を作って息長く指す方針です。

後手としても、こう手堅くされると△7三金と手を戻すのが自然ですね。以下、▲5六角△同角▲同歩で広瀬八段は攻防の角を消去し、局面の流れを緩やかにします。(第8図)

 

第6図から、ずいぶんと派手にやり合いましたが、ようやく一段落つきました。この局面は、

先手→陣形のまとまり
後手→金桂交換の駒得

と互いに主張があり、どちらが良いかは見解が分かれるところかなと思います。

 

後手は▲3四桂を喫すると「駒得」という主張が消えるので、まずはそれを受けなければいけません。また、▲7四歩△同金▲6三角という攻め筋も気になるところです。

それらの攻めを警戒すべく、稲葉八段は△3一飛と回りました。ただ、そこで▲3三歩が小味な軽手でしたね。(第9図)

 

金では取りにくいので△3三同玉と応じることになりますが、▲4五桂△3四玉▲5三桂成で後手玉は露出させられました。こうなると7三の金が戦線から離されて、働きの乏しい駒になってしまった印象です。

 

後手は中段玉を利用して△2八銀▲3八飛△2七金で、上部開拓を目指します。けれども、それを指したばかりに▲2八飛△同金▲5五角で両取りを食らうことになりました。(第10図)

 

どちらも玉から離れた場所の金ですが、2二を取らせると下段へ逃げる保険が消えますし、2八を取らせると入玉する夢が潰えます。どちらを渡しても後手は味の悪い選択で、困った状況になりました。

 

本譜は△3三桂▲2八角△5九飛と進めて寄せ合いを目指しましたが、こうなると玉型がしっかりしている先手に風が吹いてきた印象を受けます。(第11図)

 

なぜ先手の旗色が良くなったのかというと、相手の主張であった「駒得」を奪い取れたからです。同時に、自玉の安定性を維持していることも見逃せません。

紆余曲折ありましたが、▲3三歩を境にして広瀬八段はアドバンテージを掴むことに成功しました。

 




終盤

 

NHK杯 広瀬 稲葉

ここで安全を重視するなら▲6八銀打が真っ先に浮かびますね。とはいえ、先手は次に△7九角と打たれても▲9八玉でさほどダメージは負いません。そういう意味では、不必要な受けとも判断できます。

 

ゆえに、広瀬八段は▲4六桂で最短の勝ちを目指しました。後手は苦しい情勢ですが、稲葉八段はあの手この手で怪しく粘ります。まず、△2五玉▲3四銀△2四玉が勝負手第一弾。(途中図)

 

NHK杯 広瀬 稲葉

自ら腹銀の格好になっていますが、3四に銀を打たせたほうが寄せられにくいと踏んでいるのです。

先手は自然に▲4三成桂と迫りますが、そこで△2五桂と跳びはねたのが第二弾の勝負手です。(第12図)

 

NHK杯 広瀬 稲葉

これも先手目線だと意表を突かれますね。この手は飛車の利きを通し、かつ[▲3三成桂△同金▲2五金]という攻めを防ぎつつ、△3七歩成を見せるという3つの意味があります。4六の桂を除去すれば、後手は再び上部へ玉を泳ぎ出すことが期待できますね。

 

何はともあれ▲3二歩△4一飛▲4二歩で飛車の利きを封殺しますが、稲葉八段は△3七歩成で勝負に出ます。以下、▲4一歩成△7九角▲9八玉△4六角成で、中段に厚みを作りました。(第13図)

 

NHK杯 広瀬 稲葉

なかなかに煩雑な状況となっていますが、要は「先手が仕留めるか、後手が逃げ切るか」という戦いになっている訳です。この局面が、最大の山場でした。

 

 

勝負の分かれ目!

 

 

先手は3四の銀を取られると寄せがすっぽ抜けるので、それに紐を付けながら攻めることが必須です。結論から述べると、ここは▲5四飛が最適解でした。(C図)

 

 

NHK杯 広瀬 稲葉

 

これは▲3三銀不成△1三玉▲2二銀不成△同玉▲3三成桂△同玉▲3四金…という手順で詰めろになっています。飛車の利きを遮断するなら△4四歩ですが、▲同成桂と取っておけば同様の手順で詰めろが継続されているので、あまり効果がありません。

 

 

NHK杯 広瀬 稲葉

 

利きを止めても無意味ならば、上部脱出を目論むのはどうでしょう。ただ、△3六銀は▲2六金で上手くいかないですね。他には△2六銀もありますが、これには▲4五金が着実な寄せになります。(D図)

 

 

NHK杯 広瀬 稲葉

 

これも▲3三銀不成△1三玉▲2二銀不成△同玉▲3三成桂という手順で詰みを見据えています。途中の▲2二銀不成に△1二玉とかわせば後手玉は不詰めですが、そもそも先手玉に詰めろを掛ける手段が無いので、後手はどうにもなりません。

 

 

「玉は下段に落とせ」という格言が訓えるように、寄せの基本は相手の玉を狭い場所へ追い詰めることです。▲5四飛と打てば、次の▲3三銀不成が下段に落とす攻めに繋がるので、後手玉を捕らえることが出来ました。これなら先手の勝ちは動かなかったでしょう。

 

本譜に戻ります。(第13図)

NHK杯 広瀬 稲葉

本譜は▲3三金と指しました。手厚い攻めに見えますが、これを境に勝利の女神は後手に向くことになります。なぜなら、△7五桂という反撃を許してしまったからです。

対局の様子を見ると、広瀬八段は△7五桂を打たれたとき、少し驚いたようなリアクションを見せていました。憶測ですが、このタイミングで手抜きが利くのを軽視されたのかもしれません。(第14図)

 

NHK杯 広瀬 稲葉

先手は小駒の軍団で迫っているようでも、後手玉には詰めろが掛かっていなかったのです。すなわち、▲2三銀成△同金▲同金には△3四玉で逃れですね。

 

仕方がないので▲7六銀左と受けに転じましたが、これでは▲3三金との関連性が無く、変調は明らかです。その上、△5六馬という必殺技がありました。これほどピッタリした手があっては、大勢が決したと言えるでしょう。(途中図)

 

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△8九飛成という攻めを見せると同時に、自玉のトン死筋を防いでいることがべらぼうにデカいですね。これを発動させない意味でも、あのときに▲5四飛と打つべきだったのです。

 

本譜は▲7五銀と桂を取りましたが、これは首を差し出した手です。稲葉八段は△8九飛成▲9七玉△9五歩で、トドメを刺しました。(第15図)

 

NHK杯 広瀬 稲葉

これを▲9五同歩と取ると、△同香▲9六歩△8五桂▲同歩△9六香▲同玉△7八馬で、詰んでしまいます。(E図)

かと言って、△9五歩が取れないようでは、もはや受け無しですね。実戦は、ここで終局となりました。

 


本局の総括

 

後手が△5五銀から相手の攻めを呼び込んだので、先手が攻勢に出る将棋になった。ただ、攻めが些か軽いところがあるので、形勢は難解。
激しい折衝の結果、後手は金桂交換の駒得の戦果を得る。だが、▲3三歩が厄介な軽手で、不安定な玉型を強いられた。以降は、先手が優位に立つ。
後手は中段に玉を泳がせて怪しく粘るが、▲5四飛と打てば先手の寄せが決まっていただろう。
本譜は△5六馬が必殺の攻防手で、後手が一瞬のチャンスをモノにした。稲葉八段の独特な粘りが実った一局だった。

それでは、また。ご愛読ありがとうございました!

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